短いプロフィール
1。 マイナスの過去 以前の私は、不幸
1976年
石川県小松市に生まれる
プロフィール
2。 逆転人生 ある時、カウンセリングなどと出会って変わった
3。 ハッビーエンド これからも幸せです
4。 おすすめ あなたも カウンセリング受けられませんか?
※チェックと入力すると出てくる :✔️ ✅ ☑︎ ✔︎
本当に恐ろしく、父親が仕事から帰ってくるのが、イヤでイヤで、毎日ビクビクの状態でした。←抜粋
🙆 ストーリー形式
骨子の1文をしっかりと作り込む
↑ 参照
各年代の簡単な羅列 骨子に近いもの 作成
自分の存在そのものが、人々にとっての 癒し となれることを願って…
パソコン教室にて質問
幼少期 トラウマになる被虐待経験
中学生 勉強で天狗 孤立
1995年 強迫性障害にて苦しむ
高校受験に引き続き、またも大学受験にも失敗
志望校に入れず、浪人するも失敗だけを
繰り返す人生を歩む
(強度な強迫観念に悩み苦しみ、勉強しても全く効果出ず)
大学生 さらに強迫性障害にて苦しむ 重症化
夜学に通う 悩みに苦しめられながらも、テニスだけは
愉しくてクラブに明け暮れる 恋人も出来ず、願いが何も
達成されない届かないツイてない大学生活を送る
就職 オーバードーズ どん底
2002年
何とか就職 しかし、悩みの為、思うように動けず、全く仕事完遂出来ず
薬の過剰摂取で倒れ、職場を仕方なく去る
精神科病院にて「強迫性障害」の診断を受ける
この時、初めて悩みとかではなく病気であったのだ!と悟る
中学生の時より10年以上経過しており、速く対処しなかった事で、憧れの職業を
も失う
2007年
やっとこぎつけた派遣のお仕事も当時のリーマンショックで解雇となる
ここから以後、就職に非常に苦戦し、100社落ち程する 一般就労につけず、
障がい者就労継続支援施設A型を転々とし作業所の日々を送ることとなる
入退院も7回(短くても3週間)繰り返し、一年半にわたる長き入院生活も最後経験
する
給料も1ヶ月5万円さえも頂けない 隔離室も経験し、もう退院出来ないのではな
いか? 一生病院生活となってしまうのではないかと、とてつもない苦しみと強度な
不安に苛む日々を送る
大逆転 souan
2016年
人生の転機が訪れる 最後のA型 一般社団法人「創舎会」で利用者から職員
(パート)に採用される
通常就労へと繋がるキッカケをこちらの理事長から頂く 心より深く感謝!
現在 矢場田先生と出逢い、心理カウンセラーへ
ー 人々の 心の明るさを導く ー
より多くの方が、毎日 強いては人生の安心・安定状態(世の中が精神的に豊か)となれることを
祈り、少なくともその一助を果たせたらと思っています。
自分の存在そのものが、人々にとっての 癒し となれることを願って…
↑枠で囲む パソコン教室にて

↓ 現在の自己紹介の動画を挿入する
元気さを伝える
最後の 結 にくる ↓ 要再考
詳細プロフィール
こちらの左縦線の色を変えたい
パソコン教室で質問
一番最後の全体の体裁・色合いを整える!
文字の色合いが薄いのでパソコン教室で応相談!!
まずは、読んでいて不愉快になる方や目を背けたいと思う方ももしかしたらいらっしゃるかもしれないので、そういう場合は、読み飛ばしていただけたらと思います。)
自分は本当に両親に恵まれなかったと言えます。しかし、命を落とすことなく、ここまで大きくなれたのは食べさせてくれたり、間違った方向の教育ではあったとは思われますが、熱心であったこと そういった部分に関しては、まず両親に感謝を申し上げた上で、私の身に起こった事実を書いていこうと思います。
(現在、心身共にこの上なく元気です!!
両親による間違った教育方針に関しても既に許している状態です。ここまで最悪な時代から、さまざまな方からのご支援を受け自分を持ち上げ鼓舞し、まさに不死鳥の如く復活を果たせたからこそ強い生きる自信も持てるに至ったこと、さらにようやく念願だった心理カウンセラーもスタート出来ることにも繋がったので、逆にこの両親でも良かったのかなぁー と今では思えたりもしています。
全ては、結局今この瞬間があるからであり、人生の大逆転を果たし、新たなリスタートをきれることに至ったので、現在そういう心境なのかもしれません。
この自分の世代でV字回復出来るかも!?しれませんし)
幼少期~小学校時代
超暗黒時代 檻のような中におり、逃げ場がなかった

非常に家庭環境が最悪!!!と言える所で育つ。
父も母もとにかく、精神状態が不安定な人でした。(父は既に他界している)
父親は、とにかく何やかんや暴力を振るう人。母親もキチガイ声を頻繁に出す。
そんな心休めるような家庭では全くない所で、自分ら3兄弟は育ちます。
両親同士の喧嘩はいつも夜に勃発。離婚するなどなんだのと激しい言い争いをし取っ組み合いもあったりして、自分ら兄弟はいつもそれを見てワンワン泣いておりました。
本当に、ドキッと心臓に悪く、両親の喧嘩を目の当たりにする程 幼い子供にとって衝撃的と言えることはありません。
ある日の喧嘩では、夜中に父が母を窓の方向へと突き飛ばし、ガラスがバリン!!と割れました。母は、肘から出血をするなど、近所迷惑!!!もいいところのそんな出来事もありました。
父は、元自衛官でした。
だから、腕力はある程度あったものと想定されます。
そんな父親から、毎日のように
どつかれる・蹴り上げられる
ぐらいならまだしも、武器がとにかく頻繁に出て来ます。
木刀・ベルト(バックル部分)・硬い箸・ゴルフクラブ・バット しいては、包丁 などなど
(児童虐待発見時は、今は虐待の疑い・可能性がある場合でも通報義務が皆さんにありますので、その際はお願い致します)
法的根拠(児童虐待に係る通告)
第六条
当然ながら、そんな父ですから、自分への暴力・虐待も酷いものと言えました。
根拠条文
5歳くらいの時に、今でも覚えているのですが、後頭部に思いっきり鉄拳を撃ち下ろされ、フラフラになり、意識が飛びそうになったこともあります。それが原因かは判りませんが自分の右側後頭部はかなり凹んでいて、ある時に耳鼻咽喉科で顔の写真を撮ったのですが、先生が「お顔がいびつにズレている」と言ってこられました。
何か、本当に自分が悪いことをしたのなら、「まだ まだね」解るのですが、別に何かしたわけでもないのに「気に入らない!!」というだけで、手足・主に武器が飛んでくるわけですから…根拠条文
包丁でも三回頭を叩かれて、いづれも折れています。
根拠条文
友人二人と自分の家にて、ファミコンで一緒に遊んでいた時のことです。
友人がプレイの仕方が分からないので、自分はその方法を説明しておりました。
父は「友達にさせてあげろ!!」と言ってきていて…
その時、父は後ろにて、柿を剥いていました。
その時、「えー 言うこと聞かん奴やな!!」
根拠条文
その瞬間、後ろから自分の頭に包丁が振り下ろされたのです。
背後からなので見えていないから、ショックはまだ小さいレベルに終わりましたけど、
友達二人は、「わぁーーー」っと言って、私の家を大急ぎで飛び出して行きました。
また、小学3年生の時です。
ここでも包丁です。自分は、何も悪いことをしたわけではなかったと記憶しています。それなのに、台所でまたも自分の頭に今度は 見える眼前からいきなり包丁が頭に振り下ろされました!!!
波動がバリバリィと体中に走り、何が今身に起こったのか!? 全く理解出来ず硬直して動けなかったのを当然のこととして今も覚えております。まだ、身長も小学生ですから小さな時分です。
それを高いところから 一気に振り下ろされ…根拠条文
三回目に関してはもう記憶にありません。
あまりのショックで、「まったヤラれたー」と。
もう嫌過ぎて…
自分の心奥深くに記憶を閉じ込めてしまったものと思われます。
また、タバコの火を顔に押し当てられたり… まぁとんでもないですよね!!
残念なことにその時の感情等は、何故か書き出せません。
もう恐怖感が真っ先に来ているので、心の動きが追いつけていないのか!?
いつも、怒られた時は、外にも放り出されます。冬とかでも関係なしです。こちらは裸足です。何時間も立たされ、あまりに自分が泣くので、隣近所の方が慰めに自分にバナナを持って来てくれたこともありました。真っ暗の中の車のライトの目玉部分が怖くて、それを見るのもとても恐怖でした。根拠条文
今も書きながら、ため息しかでません…根拠条文
一つ、意味の解らんって思う理不尽な出来事の例 書きますね。
それは、町内会の行事で海に遊びに行った時のことです。
通報義務
父親は、そこで何をしていたのか!?
波に打ち上げられる大きなクラゲを次から次へと足で踏み潰していました。
自分はそれを見て、「かわいそうやがいやー」って意見を父親にぶつけました。
そうしたら、ゲンコツが何発も自分の頭に振り下ろされ…
何度泣きながら、抗議してもゲンコツです!!
「クラゲのどこが可哀想や」と。
通報義務 根拠条文
自分には妹がいますが、妹もかなりひどくやられ、女・子供の分け隔 全くあったものじゃありません!!でした。
読んでくださっている方は、「冗談でしょ?」と思うかもしれません。
しかし、全て自分の幼少期に起こった真実です。
皆さんに この人 理解できますか??
どうやら、今思うに、ただの感情の発散の為に行なっていたのか、 しつけと暴力の違いをそもそも理解出来ていなかったのか、はたまた、人格的に問題のある人なのかは、自分には判断つきません。 母親も非常に不安定で、きちがい声(キンキン耳障りなでかい声)を頻繁に出す人でした。 母親からも手が飛んできます。 そして、父からそう言った酷いことをされていても助けてもくれません! 何をするかと言えば、父に加勢して一緒になってこちらを攻撃してくるのです。
身体的な虐待だけに留まらず、心理的な虐待もとにかく酷かったです。
「勉強しなさい!!! 勉強しなさい!!!」
「おまえは、将来乞食になるんか!!」など
そして、母親は、自分が貧乏な家で育ったこともあり、その反動で私にはとにかく将来
「公務員」になるよう言い続けました。
公務員? 「はぁー??」
小さい自分には全く何のことか理解出来ません。そもそもどういうお仕事?という感じです。
ホントありえない発言ですよね。
母親は、本当に職業差別も激しく、
『公務員天上主義』みたいな考えのひとでした。
強制・無理強い・押し付け!!の連発
もちろん、怒られた時は、いつもご飯抜きです。
もう書いてて今イヤになってます。
こう言ったことも原因としてなのか!?
夜尿症も全く治らず、毎日、布団は世界地図状態。
病院で、処方された薬も水で飲ませてはくれません。理由は、おねしょをするから…
ものすごく変な苦い味のするお薬を毎日舐めさせられて、眠りにつくという形でした。
本当に気持ち悪かった!
いつも2階の屋根に布団を干していた為、それが友達に見られるのが嫌で嫌でたまりませんでした。
本当に、暴力を振るう両親とずっと幼少期より過ごして生活してきました。
「よく命あったなぁー」と。
世の中で、虐待とかが横行していて、最悪なニュースとかを視聴する時ってありますよね。
まだ今、生きられていることに自分の場合、感謝!!かもしれません。
とにかく、狭苦しく檻にいるような毎日で、
逃げ場のない場所でのサバイバル状態でした!!
意味わからんし… もう この両親!!!
色々書くことはありますが、皆さんに与える心理的状況も考え、この辺りにしておきます。
なんか、書いてて辛くなって来たので、詳しく知りたい方は、自分の他のブログも読んでいただけたらと思います。
↓パソコン教室で質問
枠の再考
素晴らしい中学3年生の時の先生


身長が低いのもあり、クラスメートからイジメも受けたりもこの時代ありました。担任の先生に涙ながらに訴えた事もあります。2人がかりで、自分の手足を持たれ、そのままトイレの床に落とされたり、美味しい特別パンが給食で出てきても、強引に自分の分が取られたりと…
この時代、勉強だけは好きになったので、小松高校に入学することだけが人生の目標で、自分の唯一の生きがいでもありました。しかし、両親からの心理的虐待も受けて生じることに至った強迫観念に悩まされ、高校受験は、結局失敗に終わりました。
部活のテニス部でも仲間に入れてももらえず、いつも一人で壁や網に向かってボールを打つような感じでした。
やはり、当時身長が小さかったですから、チビなのに学だけはあって、しかもそんなことを誇りにし、周囲の人たちを見下していたのが、周りの人達は気に入らなかった!!のかもしれません。
そういう変な意味での目立ちを重視していたのは、今から察するに、両親に認められず、日々罵倒されていた為と思われます。
家庭環境が最悪な中、周囲にいる机上が苦手な人たちを見下すことで、心の安定をなんとか保っていたのかもしれません。
また、当然ながら、生活態度も小学生の時に引き続いてあまり良くはなく、担任の先生からよく注意を受けていました。
ところが、3年生の時の担任の先生が人格的に本当に素晴らしく、この先生のお陰で今の人間性が作られているような気もしております。
生活態度が悪過ぎるので、この先生が敢えて自分の担任になってくれたのかもしれませんね。
星稜高校

↓ ここに高校生のエピローグ
浪人時代 〜 大学時代

酷い強迫観念に悩まされる日々 自分の感情が全く起動しない
辛すぎる強迫観念と闘いながらの受験生活でした。
朝、起きるなり毛嫌いしている強迫観念が湧きあがり絶えず湧く観念と毎日闘いまくります。
自分から強引な観念の抑制も繰り返し、一日中、グルグル同じ嫌な思考に苦しめられる日々でした。
本当に心休まる暇がなく、寝ている時のみが苦しみからの解放の時間であったと言えます。
毎日、来る日も来る日も腹部圧迫感と息苦しさをも我慢しながらの勉強タイム。
自分の身に何が起きてしまっているのだろうー??
何故、治らないのだろうー 一体どうすれば…
でも、恥ずかしくて誰にも相談できない!!!
「助けて!!!」「自分を誰か治して!!!」が言えない。
成果が出るはずもありません。
希望大学に当然ながら届かず。(パニック障害も併発していたと思われる)
2浪後やっとのことで大学に入学するも、周りの同級生は自分よりも年齢が当然若く、良い関係を築けた人は皆無に近かったです。
夜学でしたが、大変つまらない5年間でした。浪人までしたのに…
恋人も出来ず、周囲から冷やかしを受けたりもして、これもかなりの辛さを引き起こす原因となりました。
なぜ、周囲は恋人が出来、愉しそうな日々を送っているのに、自分にはできないのか!?
大学で知り合う女性に声をかけ、何度か一緒に遊んだりしてもらえるも、やはり告白するといつもフラれます。まぁ、当然と言えますよね。当時、魅力ゼロみたいな男なので。
しかし人として信用できる男の人(当時の親友)に唯一出逢えたのは、自分の人生に於ける宝でもあります。ミュージシャンを夢見るとってもイケメンな正義感の強い人でした。
学業よりも、人間関係を学んだ5年間だったと言えます。
人生での最底辺 しかし、ここから人生のreboot(再起)へと… 四角で囲む
25歳にして初めて就職です。
公務員となりました。母の言うことに潜在的に従ってしまったのかもしれません。
ですが、入れていい経験出来たなぁーと感じてもおります。さらなる地獄を呼び起こす場所ではありましたが…
しかし、自分の長年の悩みが疾患だと判るキッカケにもなった場所ともなりまして。
某地方警察です。
元来、悪いことばかりしてきた自分(例えば、万引きなど)は色々と反省したという理由もあるし、また、反動が働いたのか 犯罪というものが嫌いで、少しでも減って欲しい(当時の池田小学校の事件などを受けてショックがでかかったこと)そして困っている人を助けたい、純粋に見てカッコイイ職業、地域が活性化して欲しいなどの想いから目指したわけですが…
しかし、環境的に自分に非常にアンマッチでした。何より厳し過ぎました。
当時の自分は精神的に幼すぎるので、警察官はまずアンマッチと言えます。
助教より言われた言葉が今でも響きます!
「お前 いくつだ?」
「25です!」
「なら、もっとシッカリしろ!!!」
さらに強迫観念やら、色々な身体症状に悩まされている訳ですから業務遂行出来ないのは当然です。前提条件として心身共に、まずは頑健さが求められますから…
その厳しい環境がさらに追い打ちをかけ、極度のストレスから頭の先から体中に、ついには電気が走るようになり、そのビリビリ感に耐えられなくなりました。
電気風呂を体験したことがある方なら想像は出来ると思うのですが、あれよりももっと強力なのが体中に始終流れている感じです。
この頃の強迫観念は、「もう知識も何も頭に入れたくない!!」でした。
要は、記憶するという脳のメカニズムにまで抗う そんなことまで考えるほど、おかしな方向へ行ってしまっていたわけです。
やはり、警察学校ですから、多くの知らないことを沢山学びます。それが極度のストレスになったのだと思われます。
非常に命的にも危ないと言える状況でありました。体中に「カッーーーー」っと激しい熱感も伴い、とにかく耐えられませんでした。その上での、毎日行われる激しすぎる訓練!!
特に、術科の射撃訓練は恐怖で押し潰されそうになっていました。
気が狂って他の人や自分を撃ってしまうのでは!?
というとんでもない感情に襲われまくります。
その時の、私の心境
想像出来ますでしょうか!?
で、辞める旨を教官などに何とか方法・手段を取って申告・訴えするも、全く受け入れてもらえず、
「お前は全然大丈夫だ!!」「いい汗もかいている!!」「皆んなと無事に卒業だ」なんて言われ、もう苦しくて苦しくて…
親に助けの電話を入れるも、
「辞めていらんよー 辞めてどこで働くん?」と全く聞き入ってもらえません。
そこで、
「もういいや!! 俺の人生 25年という短さだったけど…
人をバカにするような自分は生きている価値はない!!! さようなら」
とついそこまでに自分は追い詰められ、ある日の夜に遺書を書き、薬の過剰摂取を図ったのでした…
翌朝、目が覚めてしまいます
まだ生きていることにもう絶望!!!
「訓練に耐えられるわけがない!!!」
何より、「死ねなかった…」
そう思っていた矢先に、川路広場での点呼中 倒れました!!
(帰りの空港でも、自分はこんな酷い目にあっているのに、父親はのうのうと豪華な昼食を食べていました ホントどういう神経してんだか…)
結果、石川に帰省しやっと精神科にかかることになります。
(後述の臨床心理士の先生が推奨して下った病院です)
強迫性障害の診断を受けます。
看護師さんに初回面接で、自分の心の内を言うもほぼ理解してもらえず、自分特有の観念であったと初めてそこで気がつきました。
でも、ずっと悩みだと思っていたことが、ようやく精神疾患であったことが解かり、ある意味、安堵するも酷く苦しく辛いことに全く変わりはありませんでした。
その後、未来が見通せず、この先どうなるのか!?というどでかい不安感が始終襲い掛かります!!
命は結局、救われたけど、
「治るのか治らないのか?」頭の中はそればかり。
また、熱感を治す為、半年間毎日 針治療に通うも、劇的効果は見られませんでした。
(自律神経の働きも相当悪かった)
例えるなら、更年期障害の
ホットフラッシュの酷いバージョンのような状態です。
また、その後、過敏性腸症候群にもなり、大量の内科の薬も服用している時期も長い間ありました。
☆ 人生の転機と
精神科での職員の方々
との出逢い ☆
現在の主治医と出逢い、かれこもう15年以上になります。
その先生は、よき父親代わりの発言を診察中にしてくださいます。
また、人生における重要な考え方やヒントのようなものまで提示してくださったりもするので、その結果、物事の考え方・捉え方を変えうるキッカケが少しづつ掴めるようになりました。
とにかく、未熟な自分を上へ上へと引っ張り上げてくれるような方です!!!
今もなお当然、自分にとって心の拠り所となっています。
いつも医師として、越えられない壁のようなものも示してくださり、絶えず自分の成長心を刺激してくれるような、そんな医師の先生です。
また、同病院にて絶対的に信頼のおけるソーシャルワーカーさんお二人とも出逢います。
色々な常日頃の相談に乗って頂いたり、生活面における強力なバックアップもして下さいました。
また、他の職員さんや様々な方々のご支援も受け、
今現在のみなぎりまくる元気を取り戻すことと相なったわけです。
自分では、完全寛解したと自負しています…(精神疾患に於いて完治はない為)
今のこの上ないと言えるような元気を取り戻すまで、決してスムーズな道でなかったことは、伝わったのではないか!?と思います。
最後1年半もの地獄のような入院生活は、退院とは無縁と言え、病院での暮らしが半永久的に続くのではないか?という恐怖・不安とも闘わなければならない期間でもありました。
医師からは禁じられてはいたものの「強迫観念消えろ!!!」と後頭部を何度も床にぶつける自傷行為も入院中に行ったりしておりました。それくらい自身が追い込まれ、しんどかったという記憶しか今は残っておりません。
そして、3度の食事くらいしか楽しみはないが、苦しんでいる為に、それすらもなんの喜びにも足しにもなりませんでした。
唯一、夜中に看護師さんの目を盗んで食べるプリンだけが幸せな気分を自分に授けてくれていました!
他にも、足の筋力が落ちたことで、満足に立てずに転倒を繰り返し床に張り付いて自力で起き上がれない状態ともなった為、隔離室にて拘束帯に縛られて、全く身動きの取れないそんな状態までをも経験しました。
当然のことながらおむつ生活です。
そして、隔離室には時計がない為、時間間隔も遮断され、「今 何時なんだろうー?」と本当に永遠に入っていなければならないのか?? そんな恐ろしい感覚にも陥ったりもしていました。
30代を中心に入退院を繰りかえす間、いくつかの就労継続支援施設A型も転々とし、工賃が1か月に5万円も頂けないそんな日々も長きに渡って送りました。
そして、最後のA型となる一般社団法人
『 創舎会 ~Souan~ 』
で利用者から職員に抜擢採用されたことにより、自信をつけ一般就労への道に、やっとの想いで復帰出来ることとなったのです。
こちらの理事長は、自分を障がい者とみなすことはなく、他の職員たちと等しく厳しくみてくださいました。そのおかげで、人生の転機が訪れたのではないか!?と強く現在思っております。主に清掃班をまとめて指示出し等しておりました。
番外編 1 ← 囲う

某職場で、激しいパワハラも受けます。その時、介護の仕事をしておりました。
何が気に入らないのか判りませんが、上の方より気に入られず、自分への陰湿なパワハラが、ある時を境に始まったのでした。
休憩に入れてもらえない。
仕事を回してもらえないし、教えてもくれない。
いつも、他の職員とは対応が違い、自分だけ蚊帳の外!!
何かあっては、都度仕事が終わった後、自分を残し、意味のわからない事を言い続けたり、不条理な説教をしてくるなど、本当に意味の解らないと言える上司でした。
具体的には、詳細は省略しますが、仕事定時終了後、他の職員が帰宅する中、自分だけを職場に残し、延々と自分の言いたい事発言をしてきます。
何と夜中までの訳のわからないことを聞かされ続けます。
しかも、自分自身は椅子に座りながらなのに、こちらは疲れているのに立たされ続けるという
何と毎回5時間以上にもわたって…
意味解らないでしょうー!?
さらに、そんなのが一回にとどまらず、何回も…
当然、他の職員の人たちはそんなことがあったとは全く知りません。皆んな帰宅してから それが始まるのですから。
そして、ついに手まで出されます。
「バチーン」
メガネも飛びました!!
もう悔しくて悔しくて。それから眠れない日々が続きました。
1週間ほどものすごく浅く、ほぼ寝ていなかった 眠れなかったと記憶しています。
そして、それが原因となり、双極性障害Ⅰ型まで発症!! 怒りが湧き過ぎて…
どんなに理不尽で意味不明発言がされていたか!?
上という立場を利用しての完膚なきまでのマウンティング!!
(自分が、職場を辞めるまで攻撃し、追い込みたかったものと想像出来ます)
それに、対処するために、自分は3万もするレコーダーを購入して、仕掛けて録音し本部の更なる
上司へと訴えようとまで考えていました。
(結局、さまざまな理由から録音は出来なかったのですが…)
一度、その更に上の上司に相談出来るも
「空回りしてないか?」と全く取り合ってはくれませんでした。
何が起こっているか話してもホント全くと言って良いほど信じてもらえず…
で、あまりの怒りの為に、手を出された2日後だったか…
大声を出してしまい、そのままその職場は解雇!!
また、病院では、隔離室に入れさせられるなど、本当にもう…
なんか 「俺 悪いことしましたか??」
→荒れた不安定な機能不全家族とも言える家庭環境で自分は育ちました。四角で囲む
アダルトチルドレンに自分は該当するとも思われますが、とにかく自己肯定感が低く、感情のコントロールがずっと下手な子供時代を過ごしました。(おそらく、スケープゴート 問題児タイプ)
主治医より直接 指摘された訳ではありませんが、今なお感受性も豊かである為、HSPの要素があったり、愛着障害も当然にあるのではないか!?と自分で思ったりしております。
そういった経緯から、虐待サバイバーとして、メンタルヘルスの分野において、微力ながらでも貢献していきたい より多くの人達が、一般的に願う ”幸せ” という形が今後もっと増え続け、世の中に良い流れや循環・上昇気流が起きる一助を果たせれば… と想い、心理カウンセラーという仕事を選びました。
↑ 色再考
これらの出来事を赤裸々に書かせて頂いたのは、
何も自分の不幸話を皆さんに解って欲しいからではありません。
こんな家庭や職場も世の中には存在するということ。
そして、そんな不条理な中でも
生きてさえいれば、素敵な人達にも出逢うこともできる ということです。
また、とんでもない地獄のようなーーーーーーからでも、ーーーーーを起こしたりもできるということです!!!
生きてさえいれば…

耐えきれず、絶望し先の見えない自分 自殺を図った自分が
生きることに諦めなければ、どこの地点になるのか? それは判らないけれども
いつかは 自分の本当に歩みたい姿に出逢うことができる!!ということを声を大にして言いたいです。
自分の
reboot
もまだ道半ばです。
本当に良いことが起こったとはまだ心底思えてはいません。
ですが、20年もの苦しさを乗り越えて、掴んだ元気さというのは、心底嬉しいものであり、
またそれだけ苦しんで掴んだものですから、原動力というか尋常ではないパワフルさが伴っております!!!
今の自分は、本当に力強いです。笑顔も多くよく笑います。
かなり時間はかかったけれども
「本当に人生愉しいや 1日1日が貴重 毎日の時間や出会う人たち・出来事に感謝」
お笑いを見ているわけでもないのに、何か微笑みが生まれたり、笑ったりもできる
明るさというものを手に入れることもできたし、精神的にまだあどけなさは残るものの、
めちゃくちゃ 強くなれたと自負しております。
だから、人生諦めずに!!! 生きていさえすれば…
いつかは 必ず
とお伝えしたいです。
自分の人生を決して諦めないで欲しい!!!
また、そんな父親も本当はダメな事なんですけれども、お金に甘い方でよく学業に関しては支援してくださいました。このように文章が今、書けたりするのも父親のおかげですし…
私立の高校や浪人 大学卒業まで 本当にお金を自分にかけてくれました。
母が、ご飯を作ってくれない時もよく外食に連れて行ってくれました。
心より感謝です。
矢場田先生 の教えにあります!
ピンチはチャンス
これもアリだなぁー
(ネガティブな局面に居ても)
事実は一つ
でも解釈の仕方は、自分次第で無数のものへと拡げることも出来ます。

見方を換えさえ出来れば、こうして 最悪なことも最高のものとなります♪
今 思うに 父親は不器用で手を出すことしかできなかった人だったのでしょうー
学歴コンプレックスがあり、口で上手くモノを伝えることが出来ない だから手がでる!
そして、私に 自分は社会性を教えられない代わりに、お金だけは…と考えていたのかもしれませんね。
社会性は示す。お金に関しては、子供が自分でしっかりと稼げるように育てていく
本来は、この方向性の父性愛が大事ではないかと…
父は、勘違いしていたものと思われますが、
そんな父も数年前、病気を理由に他界し、その時に色々なことが思い出され、大泣きしたのを覚えております。
尚香を上げれないレベルにまで自分は、その時大泣きしていました。色々なことが思い出されて…
また、精神的に我慢を強いられた結果、タフとも言えるメンタル面を手に入れられたのも
主に父のお陰と言えると思います。
改めて、父親には 最後の最後まで仲が良かったとは決して言えませんが 感謝を申し上げたいと思います。
番外編3
また、自分に前に進む勇気や心の強さを与えてくれたものに、
照尾 暢浩(のぶひろ)さんの
護身術空手 SDトルネード 🌪️ があります。

さて、話は、だいぶ逸れましたが、ここで、皆さんにお尋ねさせてください。
皆さんにも心が疲れてしまう瞬間や時ってあったりはしませんか?
「どうして自分はこうなのだろう こう上手くいかない人生を歩んでいるのだろう!?」と思いながら、答えの中々見い出せない日々を過ごされたりはしていませんか?
例えば ここで、レ点チェックのオンパレード
● 頭痛・胃痛などストレス症状が身体のサインとして現れている
● 悩みや不安・心配などが頭から一向に離れず、切り替えがとても困難であると言える状況にある
● 誰にも会いたくない 人という存在がそもそも嫌いである 人が怖い
● 中々 夜 寝付けない
● 人生自体に疲れを覚え、何をやるにもしんどくて億劫 集中力も持続しない 朝起き上がれない
● 自分自身を全く大切に出来ず、いつも自己嫌悪や自暴自棄!!
●ぐるぐる同じ思考癖があり、そこからの脱却が難しい
などなど、今挙げたのは、ほんの一例ですが、様々な気持ちや今置かれている状況に振り回され、本来こうありたい なりたい形から必然的に遠ざかってしまっている状況に現状なってはいませんか?
もし、そんな気持ちや状況の中で日々頑張っているとしたら、素早くそれに対処しないと、後々心身状態が悪化の一途を辿る可能性が高くなっていくものと思われます。
迅速な対応が本当に重要と言えます。
火事とかがいい例ですよね。
火の小さいうちは、まだ対処可能です。
燃え上がりが次第に大きくなり、酷くなると対処しきれず、それこそ消火に何日も要してしまう
結果になりますよね。
要は、悩みや問題などに関しても
早期発見・早期解決
が非常に大切であると言えると思います。
放っておくと、自分のように…とまでは行かないまでも長い歳月、暗闇から脱出できず、もがき苦しみ(明日が全く見えないという状態!!)大変貴重で有限とも言える人生の時間をいとも簡単に投げ捨て去ってしまう
その結果、幸せとなる権利を放棄してしまう そういったことにもなりかねません。
キーフレーズ👇
人生は、一度きり!です。1度しかない。
『時間は命そのもの』 です。
『今日という日が一番若い!!』 と言えます。
2行
さらに、生きていく上でのスキルや能力・経験も身に付かず、豊かさのある生活からは程遠くなってしまいます。周囲と極端とも言える差も生じ、結果、自暴自棄へと突入してしまうという最悪とも思えるシナリオだってあり得ます。生活の質(QOL)だって下降し続けます。
自己肯定感も低いままで、何をやってもうまく行かないという状態に陥る
そして先が見通せないという泥沼にハマり、中々上昇気流に乗ることが出来ない!! まさに、かつての私自身がそうでありました。
そんな 私ではありますが…
精神疾患という終わりの中々見えない苦しみから幸運にも脱出できた自分だからこそ、現状に困られている方々にお伝えできる何かがある!と考えております。
異常と正常という両極面を知っていたり、職場を解雇されたり。
今もその道中にありますが長きに渡る偏見差別とも闘ってきた私には、失ってしまった時間と引き換えに、逆に得ることが出来たものもある!!と今はプラスに捉え直しております。
自分のようには、絶望とも言える暗い毎日を他の方々にはなるべく送って頂きたくはない!!
本当にしんどいだけなので…
また、時間という貴重なリソースもできる限り無駄にして欲しくはない!!という強い想いがあります。
あなたの心の声にしっかりと耳を傾け、一緒に解決への一歩を踏み出せる
そんなキッカケづくりの提案が
ここ『穏庵』にて出来れば良いな! と考えております。
今、現在まさに人生の排水の陣とも言える状況からなんとか復活劇を果たせた!!と自負までしており喜ばしい限りではありますが、それは、自分を身近で支えてくれた方の存在があったからです。
(現在では、母親ともさほど、険悪な関係ではなく曲がりなりにも感謝を示せるくらいには、ようやくですがなりました)
今人生に於いて、悩みや不安でいっぱいの方々に向けて
焦らなくてもいいです。 あなたのペースで大丈夫です。
まずは、少しずつ
「本来の自分を取り戻す」 ←この辺一体 カラーの再考
一歩を私と一緒に踏み出してはみませんか?
大切なのは、内なる声を無視せずに、しっかりと自分自身と向き合うことだと私は思います。
『あなたの人生は貴方が主人公』
きっと あなた色の人生 に出来るはずです!!
↓ 色の再考
どんなに不安だとしても、どんなに心が疲れていたとしても、その先に必ずや光がある。仮に長く真っ暗なトンネル状態であったとしても、いつかは必ずや抜け出ることが出来る!!
と私は信じております。
彩光 カヲン (アカリ カヲン)が貴方の伴走者 並びに 貴方の少し前で道を照らす存在にならせて頂きます!!
― あなた自身の道がより明るく切り開けることを信じて ―
ここ「 穏庵 -onoan- 」にてお待ちしております
いつしか例外なく誰しも旅立つ時は来ます。
悩みや不安に縛られて苦しんだまま人生の大切な時間を徒労で終わらせてしまうのは、
あまりにも勿体ない!!と20年もの歳月をほぼ無駄にした自分はそう感じております。
こうしている間にも
時間は止めどなくどんどんと
流れ去っていきます
【悩み苦しんでも1日、
愉しく過ごしても 同じ1日】
↑ 色の再考です!!
あなたは、どちらの1日を選択されますか?
もっと言うと…
貴方は一度きりの 命
何に使われますか!?
ここまで 長い文章、目を通していただき、心より感謝申し上げます。
穏庵では、クライアントさんお一人お一人が安心して自分と向き合える場所をご提供させて頂きます。
苦しみ・困難をただ解消するだけではなく、自分自身の可能性を再発見し、人生を力強く歩む力を取り戻して頂く
そのお手伝いをさせていただければと思います。
こちらの左縦線の色を変えたい
パソコン教室で質問
カウンセリングとの出逢い
文章で書く
中学校で虐めも受ける
親からの身体的に だけではなく度重なる心理的な攻撃を機に、
得も言われぬ悩みに襲われ始める
学業だけは自信はあったが、高校受験にも失敗
これらの経験がキッカケで カウンセリングに関心を持ち始める
心が疲れた時に、一人で抱え込まずに、SOS発信さえできれば、より良い未来への一歩が待っています。
カウンセリングは、単に「悩みを聞いてもらう場」ではありません。
自分を理解し、成長への大切なプロセスを重視するものです。
悩みやストレスを抱えた時に、自分自身を深く理解し、解決の糸口を見つけることが出来ますよ。

※ あなたも一人で悩む時間を出来るだけ短くし、そういった光の照らす
豊かな未来をカウンセリングを受けることで手に入れてはみませんか?
話してみたくなった時こそ、そのカウンセリングを経験するタイミングと言えると思います。
↑ 色の最高😄
穏庵にてお待ちしていますね。
彩光 カヲン
A. K さんとの 運命的な出逢い
♡ 番外編 2 四角で囲む パソコン教室で質問
ここも 文章考えます!
我が ラビーとの思い出
ここも 文章考えます!画像設置
精神的に豊かな幸せな人達が今後より一層
増えれくれることを願って
現在
🍀 心の悪循環を断ち切る心理カウンセラー 🍀
矢場田 勲(つとむ)先生
の 『安心・安定のカウンセラー起業』講座

にご縁で出逢い、
自分もカウンセラーになる事を決断する❗️
自己実現できたことでHAPPYな毎日に繋がった ←ハッピーエンド
カウンセリングとは何か? ←定義
心理カウンセリングの持つ ちから

1.ーーーーーーーーーーーー
2.自己理解を深める
3.ーーーーーーーーーーーーー
4.心の支えになる
5.人間関係を改善する
6.心の成長を促す
自分の受けた
心理カウンセリング経験について
自分の歴史を遡る 父親との関係にまで遡り
自分があまりに良いところまでは近づくものの、右往左往
問いかけに中々答えられずに結構、考えさせられ、答えも浮かばない ズレたりもしながら、そんな中 えっーーーーーという発見に至る
そこ!! というビックリというか、初めての発見
自分の力では絶対に辿り着けない領域
カウンセラーさんとの伴走が要め
「出来るだけ、スピード感を持ったクライアントさんの自立」を願ったカウンセリング
凄く寄り添われている印象
説明も解りやすい
アドバイスにスライドしない
自分の頭の中のこんがらがり状態を論理的に、綺麗に筋道立てて、整理
そんな発想考えたこともありませんでした。
とにかく、思い込みを脱し、大きく大きく固定概念に囚われることなく引き伸ばしてみる そういう頭の柔らかさの重要性
ハンドリングしてゆくことで、自分の幸せ度も変化
内なる理想と現実の間のズレ
マインドハグとは? の説明
↓ 文章作成 こちらを添削に要提出要推敲 ブラッシュアップ
自分は、「精神的に幼い」という悩みを長年 抱えておりました。
自分への客観視力が強いという自覚がそもそも根底にあった訳ですが…
例えば、
自分の「心理カウンセラー」としての師匠にあたる
矢場田先生の教えの中に、
段階的に自己愛を育み、自己肯定感をこの上なく高めていく!という
大切な癒しとなる手法
『マインドハグ』
というものがあります。
以下、『マインドハグ』の説明となります。
『マインドハグ』とは、、、、
『』 あとで書く
自分は、そちらをとにかく苦手としており、その理由は、
自らを客観視する力が強すぎるのが理由となるのではないか!?
という強い思い込みが
そもそも根底に存在していました。
だから、『マインドハグ』を自分で会得するには、
「自らを冷静に客観視してしまうという傾向をもう少し弱める必要が自分には必要なんだ!」
と常日頃 信じ込んでおりました。
ところが、カウンセリングを受けてみたところ、
「客観視が強い!!」というのも
単に自分自身が作り上げていた思い込みに過ぎないことに気づかされます。
必要なのは、
逆に 発想の転換!
「もっと客観視を強めてみる!」という考え方。
そちらを行なうことで、
凝り固まったある一方向からのみの見方を変換し、解きほぐすことが出来るに至りました。
まさに目から鱗 という印象でした。
そういったことは、自分の力だけでは中々
「気づけないよー」というのが本音のところです。
例えるなら、30cm物差しがあるとして、、、
それを30cmという長さに最初から、限定してしまうのではなく、
メジャー に変化させてみる
とか
また、それが1種類に限定したメジャーとかではなく、
もっと豊富な種類があっても良いのだ
とか
とにかく、自分が勝手に作り上げてしまった思い込み・固定概念というものに
縛られることなく脱すること、
すなわち
柔軟な自由自在な発想・考え方の引き伸ばし が必要だ
というポイントとなる部分に
カウンセラーの方の導きや手助けもお借りしながら、
気づくに至りました。
でも、決してカウンセラーの方がアドバイスをしてくれるわけではないのです。
あくまで、カウンセラーの方は、
クライアント(相談者側)の自己成長と気づきという部分をとても重要視し、悩みや抱える問題に対して、
クライアント自らが自身の力で解決してゆく
といった
まさに行動変容といった部分を促すことを大切にされています。
そう!
まるでドミノの一枚目を倒すだけかの如く。
以下、その気づきを与えてくださったカウンセラーさんに関しての感想です。
『出来るだけ、スピード感を持ったクライアントさんの自立』
を心より願ったカウンセリング!
という印象を持ちました。
気持ちも丁寧に聴いてくださる中で、凄く寄り添ってくださっているなぁ!という
カウンセラーさんの優しさ・温かみも自然とこちらに伝わってきました。
また説明も随時入れてくださったので、
「自分は今 何に悩んでいるのか!?」に関しての
頭の整理もすることが出来、ストンと腑に落ちたという感じとなりました。
カウンセラーさん 本当に有難うございました。
『マインドハグ』とは?
自分の歴史を遡る 父親との関係にまで遡り
自分があまりに良いところまでは近づくものの、右往左往
問いかけに中々答えられずに結構、考えさせられ、答えも浮かばない ズレたりもしながら、そんな中 えっーーーーーという発見に至る
そこ!! というビックリというか、初めての発見
自分の力では絶対に辿り着けない領域
カウンセラーさんとの伴走が要め
ハンドリングしてゆくことで、自分の幸せ度も変化
内なる理想と現実の間のズレ
自分の歴史を遡ると共に、最初は、人に言われた「何でそんなに物事を決めつけるん?」というセリフ
自然と涙もした
まさに そこ!! というビックリというか、初めての発見
本当は、解っているのかもしれない!?のに、そうは思えないという思い込み
自分は、間違っている!!」という、かなり奥底にあるビリーフの存在が原因
「【とある概念が何!?】」というのを考えすぎて、いつも頭の中が忙しくなるという悩みを自分は、長年 抱えておりました。
こちらは、本当に深い深い悩みでした。
同じ思考がひたすら繰り返されているという状況です。
なので、自分でどうすることも出来ず、何をどう対処すれば良いのかも判らない まさに右往左往といった状態で、そのような時に、幸運なことに縁あって
『カウンセリング』というものに出逢うことが出来ました。
カウンセリングしていただく中で、何故か 父親と自分との関係 何故か過去へ過去へと
遡っていきます。
不思議ですよね。「概念は何?」というテーマで悩みを打ち明けているのに、
思い出したくもない父親との過去の話になる訳ですから…
カウンセラーの方が、色々と自分に質問してくださるのですが、そんな時、始めに思い出したのが、「何故、そんなに物事を決めつけるん?」という知人からの言葉でした。
そこから、どんどん内容は、深い方向へと進んでいきます。
思い出したくもない過去ですから、非常に嫌でたまらず、逃げ出したくもなるのですが、
そのカウンセラーさんは、本当に「鬼か!!」と思いました。
何せ、こちらは泣いているにも関わらず、まだその過去と向きあわせ続けられる訳ですから。
でも、気づいたんですよね。
『カウンセリング』とは、まさにカウンセラーとクライアントとの1対1の真剣勝負であることに…
だから、カウンセラーさんがクライアントさんに対して、真剣ゆえ、時に厳しく心を鬼にしてでも、これでもかと向き合ってこられます。
それだけ、裏を返せば、カウンセラーさんがとんでもない優しさをお持ちだということです。
なので、涙する場合も出てくると思います。でも、泣きたい時は泣けば良いのだと自分は思いますね。涙は、やはり心の浄化作用もあると思うので…
自分の実体験より、同じ想いや経験を他の人にはして欲しくはない!!
という理由から心理カウンセラーとなる熱い想いを書く ↓
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マインドハグとは!?
自分は、まだしっかりと説明できるかに関して力不足 ← 要勉強!!
母性愛 + 父性愛
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から成り立っています。
【母性愛】とは…
無条件の愛になります。